〈道〉1月号で父のことを書き、今号では母の思い出を載せてみました。「涙」がひとつのキーワードになっています。
母に罪滅ぼし云々と述べていますが、考えるまでもなく僕が罪滅ぼしをしなければならない相手は母だけではありません。子どもの頃に辛いことがあり涙を流したのに、自分の子を辛い目に合わせたことについて、何の申し開きもできません。真っ先に罪滅ぼしをすべき相手です。すでに鬼籍に入った元妻に、僕が自分勝手だったと今更謝っても遅いのは言うまでもありません。現戸籍上の妻についてはどうなのだと言われれば、更に困ります。他にも‥‥。
涙とか、罪とか、言葉だけで済まそうとしていないか。
なんだかんだと言いながら、肝心なことから逃げている。向き合うのが怖いのです。たぶん。
〈道〉通信は、いったい何なのでしょう。
郵便で送っている方の何人かに、送料を負担してもらえませんか、などとお願いしたのは先月のこと。そんな値打ちがどこにあると言うのか。
でもまぁ、一方で、〈道〉を止めることはできない、と思っている自分がおります。
なんで?
「〈道〉通信って何? あなたの存在証明のようなものですか?」
ある人から、そう、言われたことがあります。
案外そうかもしれない。
何を証明するのかよく分かっていませんが、とにかく、続けることが大事だと思うことにしています。