〈道〉のブログ 

20211020
20211020


20200301 陸くん

       青木陸くん
       病気を持って生まれてきた
       丈夫に育て、と願うのみ



20180914 「ライフタウンまび」はどこへ行く?

 

 

 

 

豪雨災害を受けた真備町には、高齢者介護の大きな施設が二つある。両者は、真備町復旧復興の、とりわけ、被災し苦しみ今後の生活を憂える高齢者支援の中心になって頑張ってくれるものと信じていた。その責任があると考えていた。ところが、その一つである、私がケアマネ勤務する老人保健施設を経営する医療法人は、「真備町」のことや、被災した高齢者のことなど、ほとんど考えていないように思われてならない。

 

 

 

この法人には、いつの間にか「介護事業本部(仮称)」なるものができていた。その本部長と副部長が職員個別面談を行っている。その面談を終えて出てきた職員の姿が痛々しい。目を赤く腫らしている者、憤慨する者、うなだれる者、唇を噛む者、など。一部の「選ばれた職員」を除いて、仕事を頑張ろうという気持ちを削がれ、この法人に(というか本部長らに)幻滅し、同時に、今まで頑張ってきたものは何だったのかと考え込んでいる。

 

職員を労う言葉はなし。責め、脅し、配置転換や出向を言い渡す。嫌なら退職せよと言わんばかり。今年中か今年度中に「集客」や「採算」目標の達成ができなければ、老健をつぶして、全く新しい現代的な経営に移行する。これに付いてくるのか来ないのか、はっきりせよ、などと、本部長らへの隷従を迫っているのか。

 

本部長らの口から出るのは「採算」「もうけ」「リスク」「(老健を)休眠」「業務形態を変える」などであって、そこに「ケア」の理念や哲学のかけらも見当たらない。

 

 

 

ある職員は、あの人たちは「壊し屋じゃ」と呟いた。長い間こつこつ築いてきた「ライフタウンまび」のケア。そして、地域からの信頼と期待。これを、「水害」を口実に壊して、高齢者介護支援の理念や責任を捨てて、全く違う「業務形態」に移行しようとしている、のか。

 



20180816 「真備町」から

 

 

~ 真備町が好きなケアマネの私的な報告 ~

 

  

 

 

76日昼前、「避難準備・高齢者避難開始」が倉敷市の山沿い地区に発令されます。その直後、僕が勤務する居宅介護支援事業所のケアマネに利用者家族から電話がかかってきました。重度のパーキンソン病で歩行困難な高齢者を今すぐショートステイに入れたいというものです。その調整をするケアマネを横目に、僕を含む他の数名のケアマネは、「小田川の堤防が切れたら、この建物は2階まで水に浸かるんだよねぇ」などと呑気なことを言い合っていたのです。ここで、ショートステイなどの避難調整をしたのはこの方一人だけでした。このことが後で悔やまれます。まさか、この後に大惨事が起こることなど誰が想像したでしょうか。

 

 

 

この日、1930分に倉敷市山沿いに避難勧告発令、1939分に岡山県に大雨特別警報が発令されます。最初の避難指示は7日の深夜130分でした。僕はというと山に囲まれたような自宅で、土砂崩れを気にしながら、避難することもありませんでした。

 

 

 

(二)

 

小田川とその支流の水が堤防から氾濫し、いたる所で土手を崩し、堤防を決壊させました。その水が住宅地などに押し寄せます。ケアマネ事業所が入っている老人保健施設は予想通りというべきか2階まで水没しました。施設利用者は3階以上に避難します。電気も水も止まりました。1階厨房の冷蔵庫は天井を突き破っていました。

 

 

 

77日、朝9時過ぎ、ケアマネの携帯電話が鳴ります。重度四肢麻痺で寝たきり、酸素吸入など重い医療とケアが必要な方の奥様からでした。

 

「どうしたらいいでしょうか」「床上浸水で、地域の方に1階から2階へ上げていただきました」「しかし、水が徐々に増し階段の途中まで来ています」「消防に電話しても繋がりません」。

 

110番に通報しましょう」「ケアマネからも電話してみます」。

 

電話をすると、警察は「わかりました」と、いい返事でした。

 

少しして「水が上がってきています」「警察に2度電話しましたが来てくれません」と奥様から電話です。

 

ケアマネは、心配してくれていた訪問診療の医師に連絡しました。医師はすぐに自衛隊に救助要請します。「2階の窓から旗を振って」という自衛隊からの指示が奥様に伝えられました。

 

どれだけの時間が過ぎたか、奥様から電話。「旗を振っています」「ヘリコプターは飛んでいるけど助けは来ません」「水が階段の上のほうに迫っています」「携帯の電池がなくなります」。

 

‥‥ ケアマネにとって長い時間がすぎました。そして、奥様の電話で胸をなでおろします。

 

「救助されて総社市の病院にいます」「(訪問診療の)先生が病院を手配してくれていました」「自宅からは、近所の方のボートに救われました」。

 

(後で聞いた話では)2階に水が迫っていた時、離れて暮らす二人の息子が父親を助けに来ていました。長男は、地域の方のボートに救助要請懇願し、次男は板に乗って父親の家を目指したそうです。

 

 

 

(三)

 

勤務する事業所では半数のケアマネ職員の自宅が水没被害を受けました。僕がケアマネ担当する高齢者宅で水没被害を受けたのもほぼ半数です。浸水しなかったけれど断水、停電などで在宅介護困難になって真備町外へ避難した方もいます。

 

真備町内の介護・障害・医療・教育施設など、ほとんどが被災しました。そして、「介護難民」「医療難民」などが多く生まれます。介護保険の通所(デイ)だけでも8事業所が被災し利用できません。自宅が水没を免れても利用する事業所がなくなりました。一方、避難した利用者は介護サービスをどこでどう受けたらいいのでしょうか。特に重度の要介護者は深刻です。ここでもケアマネが頼りにされます。

 

真備町から遠く離れた狭い仮ケアマネ事務所で、僕をはじめ被災を免れた少ないケアマネで、先ず利用者の安否確認、そして、介護利用調整など、ケアマネに求められることは少なくありません。しかし、利用者情報は泥に浸かり失われており、真備町内の電話は繋がらないまま。うまく連絡が取れないのです。町内の交通網も寸断規制されていました。手も足も不自由な状態で、気落ちしがちな心に鞭打って、かといってそんなに頑張れるわけはなく、いつしか時が過ぎていきました。そうしている間に、被災したケアマネが一人、また一人と職場復帰してきました。事業所の車も水に沈んだため、自家用車で真備の町を走ります。泥で汚れた車を自慢したくもなったものです。

 

 

 

(四)

 

 今、小田川河川敷にびっしりと大きく茂っていた木々などが急いで倒され取り除かれています。あまり報道はされませんが、あの茂った「森」が小田川の水位を上げたのは間違いありません。(だから急いで切り倒している)。僕の家から、その「森」のために見えなかった「箭田」の町が見えるようになりました。

 

 夜、水没後の真備の町から、星がきれいに見えます。夜の明かりが消えたからです。人がいないのです。ここに住んでいた人たちは戻ってくるのでしょうか。戻ってこれるでしょうか。

 

 通所事業所が「10月から」「秋頃から」再開するなどという嬉しい話が聞かれます。一方で、閉鎖が決まっている事業所もあります。

 

私が勤める法人では事業再開には「採算」が鍵になるとのことです。僕がケアマネ担当する高齢者は、今、水害前の半数になっています。定年後の非常勤ケアマネとしては、他の非常勤職員などと同様にこの職場を去ることになるかもしれません。でも、あと数か月は、少しは前が見えるようになるまで、ここでケアマネとしてがんばりたいと思っています。

 



20180729 真備水害について

 

水害で、多くの暖かいお声掛けや励まし、ご支援をいただきました。
「真備町」が残念なことで全国区になったために、遠方からも懐かしい声が届きました。
ありがとうございます。
僕は浸水被害を免れました。大事なものをいっぺんに失った方々に後ろめたい気持ちになります。

勤務する事業所では半数のケアマネ職員が浸水被害を受けました。
僕がケアマネ担当する高齢者宅で浸水被害を受けたのはほぼ半数です。浸水しなかったけれど水や電気が来ない

からと避難した方もいます。
真備町内の介護・医療・教育施設など、ほとんどが被災しました。「介護難民」「医療難民」などが多く生まれ

ました。

真備町から離れた狭い仮ケアマネ事務所で、少ないケアマネで、そうした状況に立ち向かうのですが、利用者情

報は泥に浸かり失われており、真備町内の電話は繋がらないままで、手も足も不自由な状態で、気落ちしがちな

心に鞭打って、かといってそんなに頑張れるわけはなく、いつしか時が過ぎ、今に至ったような感じです。
事業所の車も水に沈んだため、自家用車で真備の町を走ります。泥で汚れた車を自慢したくもなります。

僕がケアマネ勤務する法人では、施設入所(利用定員56名)、通所(利用定員80名)と事務室で働く非常勤職員

に「自宅待機(退職)」(1か月の「待機」後に退職)の辞令が出されました。(僕も非常勤ですが、ケアマネ

は継続雇用のようです)。
ほかにも閉鎖する介護事業所の話が聞かれます。

一方で、自宅も事業所も被災したNさんなどは、持ち前のバイタリティーと広いネットワークとでこの苦境を乗

り越えていこうと必死になっています。疲れが出ませんようにと祈るばかりです。
また、倉敷市社会福祉協議会でボランティア対応などの激務の中、「〈ケア〉カフェ in まび」LINEページに貴

重な情報を多く書き込み続けていただいているMさんなどの存在も忘れてはなりません。

真備の町はこれからどうなっていくのでしょうか。
わかりませんが、僕たちには、仲間がおり、ネットワークがあります。

 

 

 



20171102 母が旅立ちました。

▼20171103
自宅で癌末期の母を看取ってきましたが、昨日(11月2日)、穏かに息を引き取り、旅立ちました。
息をしなくなってまだ温かい母の体にすがって泣きました。
訪問診療(訪問歯科診療を含む)、訪問看護、訪問介護、通所介護、福祉用具、ケアマネほか多くの支援を受けてきました。
自身で経験したから見えてきたようなところがあります。思い悩むことも多くありました。
支えていただいた方々、ありがとうございました。
▼20171105
昨日、葬儀を終えました。
みなさまのおことば、一つひとつに「元気」をいただきます。
この「看取り」について、いずれどこかできちんと報告しなければならないなとは考えています。
母の思いもあって入院することなく自宅で最期まで過ごすことができました。これは、在宅医療介護関係のみなさまのおかげです。そのネットワークの力を改めて思い知りました。
僕は今後こうしたネットワークの一員としてがんばっていくんだとの思いを強くしています。

 



20170609 「成年後見」を「てつがく」するって‥‥?!

 

成年後見」を「てつがく」するって‥‥?!
 
僕は、6月9日の「〈ケア〉カフェ in まび(第38回)」で無謀にも「成年後見」を「てつがく」する、などという途方もないテーマを掲げてしまいました。「てつがく」の何たるかもわからないのにです。
でもまぁ、会を終えて、これはこれで良かったかもしれないなと思っています。

 

「そもそも」成年後見制度とは何なのか、これを考えるとき最も大事にしなければならないものはどういうことか、この制度の根幹にあるものは‥‥、などを問い、考えることが今ほど求められているときはないからです。

 

成年後見制度は、今、ある意味で、ひとつの大きな曲がり角を迎えています。
今年3月、国は「成年後見制度利用促進基本計画」を閣議決定しました。ここでは「認知症高齢者の増加」などで「制度利用の必要性が高まって」いるにもかかわらず「制度があまり利用されていない」現実があり、「利用者がメリットを実感できる制度・運用へ改善を進める」としています。そして「基本的な考え方及び目標等」のもとに「講ずべき施策」が掲げられており、関係者の積極的な取り組みを求めています。 
一方、そのための特別な財源については示されていません。

 

私たちには、国がこうしろと言うからそのようにする、などという受身的なものでなく、主権者の一人としてこの課題や問題に前向きに関わっていくことが求められています。
ここで「てつがく」が必要になります。「そもそも」と考えることです。
だれのために、何のために、その根本となる考え方は‥‥、などと問うことです。

 

「基本計画」の中から、重要と思われるキーワードを少し抜き出してみます。

――「本人の自己決定権の尊重」「本人の意思決定支援の観点」「本人の意思を尊重」「本人らしい生活を守る」「身上に配慮した後見」「身上保護を重視」「地域連携ネットワーク」「「チーム」による対応」「伴走者」‥‥。

 

この制度の中味を作っていくのは私たちだということを自覚する機会となりました。
それにしても、「てつがく」がよくわかっていない僕でありますが。

 

 



20170218 「吞ん兵衛」

倉敷市真備市民文化祭に徳利とぐい呑みを出品しました。
月に1回ぐらい通う陶芸の会では徳利とぐい吞みを多く作ります。
徳利は一輪挿しに、ぐい吞み(普通のものより大きい)は小鉢に転用できます。
思い通りの形や色にならないところがおもしろい、と言えればいいんですけどね。焼きあがりで、一喜一憂します。

 

白状します。

この徳利、3合ぐらい入るものです。

出品したあと、我が家で、さっそく使ってみました。

じわっと酒が滲み出てまいります。

「会心の作」が実は、とんでもない失敗作だったのです。

今までこんな失敗をした覚えはありません。どうも、陶芸を舐めたようなところがありました。

今後、気を引き締めて、陶芸を「楽しみ」ます。



20170213 須賀しのぶ『また、桜の国で』

須賀しのぶ『また、桜の国で』より
ーー
彼らほど宣伝をうまく使う者を、慎は知らない。国内においても国外に向けても、自在に印象を操作する。だからこそ、当初はあれほど警戒されていたヒトラーが存外話のわかる男として周囲に受け入れられ、迂闊にも人々は彼とその国家を信じ、そのたびに裏切られてきたのだ。
ーー
このヒトラーを、トランプや、〇〇〇---などと入れ替える日が来ないことを祈るばかりです。

 



20170131  がん

僕の母(89歳)もがんです。20年ほど前に手術した乳がんの転移だそうです。脊椎、骨盤、肋骨、肺などに転移しています。
そのうち脊椎と肺がほどほどに大きく、その確定診断のために大学病院に二度ほど入院しました。
先日は皮膚に転移したがんの切除を日帰りで行いました。
今までに抗がん剤を二種類使いましたが、副作用のためと効き目が少なくなってきたので止めました。
脊椎がもろくなっているので、体幹を覆うコルセットを入浴時以外はしなければなりません。もう3年ぐらい続けています。これがいちばん辛いと母は言います。
パーキンソン病もあり、要介護2の認定で、デイサービスに週2度ほど通います。
母は、それでも、なんとか普通の生活を送っています。夕食の用意をするし、秋祭りの寿司、赤飯も作ります。年末の餅つきには母の存在は大きいです。
母は、今後、手術も、放射線も、抗がん剤もしない、長い入院はしないと言っています。
母や僕らの生活とともに、がんはあります。謂わば、同居しているようなもの。
がんとうまく付き合っていくしかないようです。
その時々の状況のなかで、柔軟に考えていったらいいのでしょうね。
たぶん。

 



20170119 緑内障

昨日、「緑内障(初期)」と診断され、少々複雑な気持ちでいます。
死ぬまで一生、目薬を差し続けなければならない、とか。
ここでも「お年寄り」の仲間入りです。
気分転換(?)に、メールアドレスを変えました。
  ⇒ michi-care@outlook.jp


20170101 コーヒー

昨年末ぐらいから、豆をガリガリ挽いてコーヒーを飲むようになっています。以前の僕には考えられませんが、そんなことも起こるのです。
味が分かるの? なんて聞かないでください。
「ちがいがわかる」って、すごいことなのかな。
ガリガリすることが大事な時間なのだと、思い始めました。
僕は、酒にしか目がないと思っていたのですが、コーヒーもいいもので。